2025年1月、私の父が亡くなりました。

近所のかかりつけ医による定期的な健康診断において、大きい病院での精密検査を勧められ、2泊3日の検査入院をしたのが2024年10月中旬。
その病理検査の結果が出て病名が判明したのが10月下旬。
それから僅か3ヶ月後に息を引き取ったのです。もの凄いスピードの進行でした…。
「平滑筋肉腫」(へいかつきんにくしゅ)という症例が少なく珍しい「希少がん」が腹部にあり、多発肺転移、多発肝転移と、肝臓や肺にも転移していました。
腫瘍内科の医師には、手術も、放射線療法も、薬物療法も不可能、現代医学では治せないと断言され、緩和ケア科、緩和ケア病棟の案内へ回されました。
結局、父本人の希望により、自宅にて、母の看病と、訪問診療、訪問看護による「在宅緩和ケア」の状態が続いていました。
本人も家族も、まさに青天の霹靂。
仕事は自営業のため、残りの仕事を納めようと、少し調子がいいタイミングを見つけては、11月末位まで働いていましたので、生涯現役のまま最期を迎えた感じです。
当初、年を越すのも難しいと言われていたにもかかわらず、新年を迎えることができましたが、その後、1ヶ月は持ちませんでした。
実は1月が誕生日で、83歳になった3日後に亡くなったのです。
一切、言葉にはしませんでしたが、やはり内心、ここまで来たら誕生日は超えたい、という目標があったように思います。
さて、私は長男ということもあり、実務のすべてを取り仕切らなければならない立場であるため、亡くなってからの作業量の多さにてんてこ舞いでした。
お通夜、葬儀・告別式、四十九日法要の段取り、葬儀後の変更手続き、申請手続き、自営業の廃業手続き、相続手続き等々、メールやネットで完結する普段の仕事とは異なり、電話と対面、FAXと郵送がメインでした。
並行して、少なくとも最低限はこなさなければならない自分の本業のルーチンワーク、自身の確定申告なども重なり、息をつく暇もないほど凄まじい期間となっていました。
進捗はマチマチですが、連絡しなければならないところとのコンタクトややり取りが2月一杯でやっと一通り済み、少し一呼吸。
父の逝去について、大まかな書き付けであってもここに投稿しないと、頭を切り替えて次の段階へ進みにくい感覚があったため、ひとまずこれを書いて公開します。
お葬式や葬儀後の作業は見るとやるでは大違い、自分が当事者になってみて初めて触れる情報、状況にたくさん出くわしたため、記録しておく意味でも、今後、折りを見て、また本件に関連する投稿をしていきたいと思っています。
人はそれぞれ使命、役割があるため、自分は感傷に浸るよりも、とにかく故人が心配しないよう、一丁前の大人として、しっかり没後の手続きを出来るだけスムーズに完遂することこそが弔い、供養になると考えています。
まずは訃報のご報告まで…✍️